タイトル

コラム - 西大路七福社めぐり
ファイルNo

16
施設名

キッショウインテンマングウ
吉祥院天満宮
所在地

京都府京都市南区
吉祥院政所町3
紹介動画


紹介内容
主祭神:
・菅原道真


摂社/末社:
・白太夫社
・稲荷社
・弁財天社 
ほか


創建/建立時期:
・934年


元来としては菅原家のお屋敷になります。


桓武天皇の長岡京建都~平安京建都のタイミングで、
奈良県奈良市の菅原地区から、(西大寺から少し南にある地区)
道真の曽祖父にあたる「土師古人」と、
その息子で道真の実祖父になる「清公」が引越しとなった。

元の地名を忘れないようにと「菅原」性に改姓したそうです。

引越し間もなくに、桓武天皇から「遣唐使」の判官を命じられて、
清公は留学目的の僧の「最澄」と「空海」と渡海。

唐に向かう時(推定)に海難事故に遭遇し窮地となるも、
吉祥天が表れて、無事に上陸できた。
さらに任務完了かつ無事に帰宅もできたので、自宅の一部を改良し、
吉祥天を祀るお堂にしました。

それが現在の地名の由来になりました。


「菅公御誕生の地」とデカデカと看板に紹介されていますが、
諸説にて各所が謳っているので、そこは伏せておきます。

※菅公[かんこう]…菅原道真の事。
 大臣を務めた事から「菅大臣[かん だいじん]」とも。


880年10月11日(元慶4年8月30日)
道真の実父「是善」が死去すると、
翌881年(元慶5年)に曾祖父の代からの屋敷をお寺へ大改修。


901年(昌泰4年)
内裏での大宰権帥[だざいのごんのそち]任命の辞令を受けると、
父の役宅(現 菅原院天満宮神社)の荷物や人員の解散指示ののち、
多治比文子の邸宅(現 文子天満宮)で彼女に面会し、
続いてこの地を訪れ、都から下向したそうです。

※多治比文子[たじひのあやこ]…道真の乳母。

903年(延喜3年) 道真死去すると、
京都で天変地異が多発。

のちに怨霊騒動へと発展する。


934年(承平4年)
朱雀天皇が怨霊鎮護を行う勅願のお堂に任命。
これが創建に相当と学識的に決定の様です。
※北野天満宮は947年に建立なので、北野天満宮より先になる。


1066年(治歴2年) 天神堂が増設。
このころから「吉祥院の天神さん」と呼ばれるようになり、
これが社号になったようです。

京都十六社めぐりの対象の天神さんになります。


令和になってすぐ、金色の牛の置物が設置。
足元を潜れる仕様になってます。


アクセス:
ちょっと不便な位置ですが
・市バス 吉祥院天満宮前 下車 3分位かな。(信号待ちの時間を除く)
 42,43系統のバスがあるが、どっちも1時間に1本と不便ではある。
・市バス 西大路九条 下車
 西大路通りを南下して、西大路十条の交差点へ。
・車の場合、境内に直接突っ込めますが、年始などはまず無理です。
 混雑の場合は、イオンのパーキングが大きくて便利でしょう。
 西大路十条の三叉をを南西へ、川を渡ってすぐに右折。
 鳥居がある所を入ったら、正面が境内。L字に左折れ右手にも鳥居。
 ここから車が入れます。

 確実なルートは、
 京都駅から 市バス42乗車 (阪急洛西口駅前行き)
 阪急電鉄四条烏丸駅 ないし JR西大路駅から 市バスに43乗車 (久世橋東詰行き)
 西大路通り側に43系統 十条通り側に42系統のバス停があり。
 交差点からちょっと離れた雰囲気です。


<CE見聞録>
なぜかキティちゃんと白馬の像があります。
白馬は縁起物なので理解できますが、
オリジナルのキティちゃんグッズが販売されていたりと
この点は首を傾げています(笑)

現地の写真

頂いた御朱印
西大路七福社めぐり
毎年の元日から二月半ばまでの期間で行われています。
ほぼほぼ西大路通りに面した神社をめぐりますが、
ちょっぴり離れている神社もあります。
市バスを活用すると効率的かつ短時間で完走できます。

社号 鎮座地 紹介
敷地神社(わら天神) 北区衣笠天神森町10
平野神社 北区平野宮本町1
熊野神社衣笠分社 北区小松原北町135-30
大将軍八神社 上京区一条通御前西入西町48
京都春日神社 右京区西院春日町61
若一神社 下京区七条御所ノ内本町98
吉祥院天満宮 南区吉祥院政所町3