タイトル

コラム - 京洛八社めぐり
ファイルNo

23
施設名

シモゴリョウジンジャ
下御靈神社
所在地

京都府京都市中京区
寺町通丸太町下る御霊前町
紹介動画


紹介内容
主祭神:
・崇道[すどう]天皇(早良[さわら]親王)
・吉備聖霊[きび せいれい]
・霊元天皇
ほか

※崇道天皇…桓武天皇の弟。淡路島に流罪(冤罪と証明されたらしい)。絶食にて絶命。
      天皇にはなってないが、鎮魂の為に天皇とされた。
※吉備聖霊…「吉備真備[きび の まきび]」の事と思われる。奈良時代の学者で右大臣。

※霊元天皇…江戸中期の天皇。東山天皇に譲位した後も、当社への信仰が深かった。


摂社/末社:
・北野社
ほか


創建/建立時期:
・863年


桓武天皇は、弟である早良親王の祟りを恐れ、「崇道天皇」として供養する為に、
863年に開催した「御霊会」が始まりで、上御靈[かみごりょう]神社と合わせて建立との事。


元々は現在の今出川寺町の北西部分に創建されてたらしく、
かつては「出雲社」と呼ばれていたようで、
賀茂川にかかっている出雲路橋からほど近かったらしい。

鎌倉時代に、新町出水に引越しされてます。(現在の府庁のあたり)
応仁の乱の時に、「御神体」が花園村(現在の御室あたり)へ避難するも、
境内は跡形もなくなっていたようです。
秀吉の京都復興プロジェクトにより、現在の場所に社殿が復旧しご神体が帰還。


また境内にある井戸は、1770年頃に干ばつにより枯れる。
この年は、京都全体で渇水で大変な状況だったらしい。
そんなある日に神主が夢で

「境内のあの辺掘ったら 水がでるで~。」

と神のお告を受ける。
試に掘ってみたら、なんと清水が湧き出たので環境を整える。

結果 京都の人の喉を潤す事ができた。

そこから「感応水[かんのうすい]」と命名される。

(注)お告げのお言葉は、わかりやすいように現代語にしてます。
  実際にはもっと威厳ある口調でしょうね(笑)


現在も「名水」の為に、水を汲みに来る人も沢山おられるようです。
節度を守ってのご使用を願いたいものですね。
あと、境内へのご参拝もお忘れなく…。


江戸時代には二度の大火で焼失するも、
霊元天皇の計らいにより、二度とも仮皇居が下賜、
神輿をも寄進しており、
霊元天皇の信仰が深かったようです。
さらに下御霊神社の祭神となるように、
遺言を残していたことから、
そのようになっております。

二度目の社殿と神輿が現在に残っております。


アクセス:
・京阪電鉄神宮丸太町駅から、鴨川の橋を渡ってさらに200m程
・地下鉄烏丸線丸太町駅からだと 丸太町通りを東へ300m位で寺町通りにでます。
・市バスであれば、河原町丸太町 のバス停下車 西へ向かって、寺町通り下がる。
・寺町通り側や、社殿すぐ南の通りに、小規模のコインパーキングはあります。
 境内には停めれません。


<CE見聞録>
出雲寺が僧乱で潰れているという記録もあることから、
それが原因で最初の引っ越しになったとシーイーの推察です。

何気に色々と振り回されている神社だったりします。


現地の写真

頂いた御朱印

京洛八社めぐり
京都市内にある八カ所の神社を巡る一種のスタンプラリーにて、
平安・室町・明治に建立された神社が対象です。
ちなみに、半分が天神様に縁ある所です。

烏丸通りに隣接や、近くだったりするので、
地下鉄と市バスを効率よく使うと、日中に回れます。
紹介動画

社号 鎮座地 紹介
文子天満宮 下京区間之町通花屋町下る天神町400
菅大臣神社 中京区仏光寺通新町西入る菅大臣町187
下御靈神社 中京区寺町通丸太町下る御霊前町
菅原院天満宮神社 上京区烏丸通下立売下る堀松町408
護王神社 上京区烏丸通下長者下る桜鶴円町385
御靈神社 上京区上御霊堅町495
白峯神宮 上京区今出川通堀川東入る
水火天満宮 上京区堀川通寺之内上る2丁目扇町722-10