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紹介内容
主祭神:
・崇道[すどう]天皇(早良[さわら]親王)
・吉備聖霊[きび せいれい]
・霊元天皇
ほか
※崇道天皇…桓武天皇の弟。淡路島に流罪(冤罪と証明されたらしい)。絶食にて絶命。
天皇にはなってないが、鎮魂の為に天皇とされた。
※吉備聖霊…「吉備真備[きび の まきび]」の事と思われる。奈良時代の学者で右大臣。
※霊元天皇…江戸中期の天皇。東山天皇に譲位した後も、当社への信仰が深かった。
摂社/末社:
・北野社
ほか
創建/建立時期:
・863年
桓武天皇は、弟である早良親王の祟りを恐れ、「崇道天皇」として供養する為に、
863年に開催した「御霊会」が始まりで、上御靈[かみごりょう]神社と合わせて建立との事。
元々は現在の今出川寺町の北西部分に創建されてたらしく、
かつては「出雲社」と呼ばれていたようで、
賀茂川にかかっている出雲路橋からほど近かったらしい。
鎌倉時代に、新町出水に引越しされてます。(現在の府庁のあたり)
応仁の乱の時に、「御神体」が花園村(現在の御室あたり)へ避難するも、
境内は跡形もなくなっていたようです。
秀吉の京都復興プロジェクトにより、現在の場所に社殿が復旧しご神体が帰還。
また境内にある井戸は、1770年頃に干ばつにより枯れる。
この年は、京都全体で渇水で大変な状況だったらしい。
そんなある日に神主が夢で
「境内のあの辺掘ったら 水がでるで~。」
と神のお告を受ける。
試に掘ってみたら、なんと清水が湧き出たので環境を整える。
結果 京都の人の喉を潤す事ができた。
そこから「感応水[かんのうすい]」と命名される。
(注)お告げのお言葉は、わかりやすいように現代語にしてます。
実際にはもっと威厳ある口調でしょうね(笑)
現在も「名水」の為に、水を汲みに来る人も沢山おられるようです。
節度を守ってのご使用を願いたいものですね。
あと、境内へのご参拝もお忘れなく…。
江戸時代には二度の大火で焼失するも、
霊元天皇の計らいにより、二度とも仮皇居が下賜、
神輿をも寄進しており、
霊元天皇の信仰が深かったようです。
さらに下御霊神社の祭神となるように、
遺言を残していたことから、
そのようになっております。
二度目の社殿と神輿が現在に残っております。
アクセス:
・京阪電鉄神宮丸太町駅から、鴨川の橋を渡ってさらに200m程
・地下鉄烏丸線丸太町駅からだと 丸太町通りを東へ300m位で寺町通りにでます。
・市バスであれば、河原町丸太町 のバス停下車 西へ向かって、寺町通り下がる。
・寺町通り側や、社殿すぐ南の通りに、小規模のコインパーキングはあります。
境内には停めれません。
<CE見聞録>
出雲寺が僧乱で潰れているという記録もあることから、
それが原因で最初の引っ越しになったとシーイーの推察です。
何気に色々と振り回されている神社だったりします。
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