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紹介内容
主祭神:
・和気清麻呂[わけ の きよまろ]
・和気広虫(清麻呂の姉)
摂社/末社:
・祖霊社
ほか
創建/建立時期:
・1866年
和気清麻呂公は、
岡山県和気郡が出身の地方の役人だった人で、
備前の国分寺・国分尼寺の建立に功績があり、
中央政権に抜擢されて奈良に栄転するも、
「宇佐神宮神託事件」により
現在の鹿児島県霧島市へ左遷された人物。
後に光仁天皇にて冤罪と認められ、
政権に復帰し「豊前守」に任命されます。
桓武天皇の代になると、
長岡京建都の現場責任者として、街作りに参加。
平安京建都と遷都では、最高責任者として君臨。
山城高雄に「神護寺」を建立もした。
日本で初めての私学「弘文院[こうぶんいん]」を創設して、
次代を担う人材育成を行うなど、
799年天寿を全うするまで、平安京の政を卓越に行っていました。
時は流れて…
1851年に「孝明天皇」が歴史的功績を讃えて、
「正一位護王大明神」の新号を与える。
1866年に「明治天皇」の勅命にて
蛤御門の正面に建立されました。
※「大政奉還」の前年にて「五箇条の御誓文」発布の二年前。
逸話として残っているのは、
流罪で日向国に向かっている時に、刺客に襲われたが、
森の猪達が、刺客から守ってくれたとか…。
平安京へ復帰の時に、猪が同行して警護してくれたとか…。
こういった逸話が元で、「猪に守られし清麻呂公」となり
狛猪含め、猪に関わるものが祀られています。
従って、足腰の病気平癒、旅の安全や
家内安全とか、学問や就業に関する御利益があります。
1899年(明治32年) 紙幣が発行され、
その紙幣のうち十円札(拾圓札)に当社が印刷されました。
肖像に「和気清麻呂」
背景に当社の舞殿にイノシシ。
そこから「イノシシ」との愛称がついた紙幣になったそうです。
近年の三箇日には「白猪」の「カリン」が滞在しており、
特に亥年は大盛況なようです。
アクセス:
・地下鉄烏丸線 丸太町駅から北へすこし。
・市バス 烏丸丸太町 下車 北へすこし。
上記の通り、蛤御門の正面にあります。
<CE見聞録>
KBS京都(地元のテレビ局)では、コマーシャルがある神社です。
ちなみに境内すぐ北にそのテレビ局があったり(笑)
イノシシの縁だけあって、境内南側に「イノシシコレクション」
というギャラリーがあり、いろんな置物がありますよ~。
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