紹介内容
主祭神:
・菅原道真
・あめ の ほひめ の みこと(天穂日命)
・すがはら きんだち の みこと(菅原公達命)
摂社/末社:
・戎神社
・塩釜神社
ほか
創建/建立時期:
・1000年代前半
道真公が太宰府に向っている途中、伊保港に船を寄せて日笠山に登られて、
「我に罪無くば栄えよ」
と祈って小さな松を植たそうです。
その松はスクスクと育ち、「霊松[れいしょう]曽根の松」と後に呼ばれ、
現在も幹が当社に保存されています。
数年後
道真公の四男「淳茂[あつしげ]」公と家臣13人がこの地を訪れ、
父君ゆかりの場所に社殿を建てたが始まりとの云。
道真が手植えしたという「松」は、自然と風化したようで、
江戸末期には枯れてしまっていたという。
参詣者に当たってはいけないと思った、当時のご神職は、
枝や幹を
時は進み・・・
1578年 織田信長の播磨平定による羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)軍が布陣してた頃
戦火により社殿が焼失。
1590年 豊臣政権の時期に、領主の「寺沢越中守広政」が奉行として本殿が再興。
1609年 姫路城主「池田輝政」の継室「督[とく]」の寄進で拝殿が建立。
また徳川家光の代から幕府からの寄進があり、参勤交代の大名が参拝する風習になる。
逸話としては、島津公が霊松の枝で天神像を刻み祀ったという。
(おそらく鹿児島県の「米ノ津天満宮」に祀られている像の事かと。)
※寺沢広政…織田信長の家臣で秀吉の与力。
息子の「寺沢広高」は、唐津城と「虹ノ松原」の普請をした人。
池田輝政…信長の家臣で乳兄弟「池田恒興」の息子。
父と兄が「小牧長久手の戦」で戦死により家督を相続。
秀吉没後は家康の娘婿となる。「白鷺城」を確立した人。
督[とく]…徳川家康の次女で、秀忠と同腹の妹との説。
アクセス:
・山陽電鉄 「山陽曽根」 駅 下車 直ぐに参道の鳥居があり。
北へ150m程でしょうか。
<CE見聞録>
第一印象は「なんか 雰囲気が全く違う天神さんやな~」でした。
うまく言葉にできませんが、なんとなく異なる雰囲気です。
広い境内に複数の摂社・末社があり、山門直ぐ横に上記「松」を祀る社が。
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