タイトル

コラム - 菅公聖蹟二十五拝
ファイルNo

112
施設名

ソネテンマングウ
曽根天満宮
所在地

兵庫県
高砂市曽根町2286
紹介内容
主祭神:
・菅原道真
・あめ の ほひめ の みこと(天穂日命)
・すがはら きんだち の みこと(菅原公達命)


摂社/末社:
・戎神社
・塩釜神社
ほか


創建/建立時期:
・1000年代前半


道真公が太宰府に向っている途中、伊保港に船を寄せて日笠山に登られて、

「我に罪無くば栄えよ」

と祈って小さな松を植たそうです。

その松はスクスクと育ち、「霊松[れいしょう]曽根の松」と後に呼ばれ、
現在も幹が当社に保存されています。

数年後

道真公の四男「淳茂[あつしげ]」公と家臣13人がこの地を訪れ、
父君ゆかりの場所に社殿を建てたが始まりとの云。


道真が手植えしたという「松」は、自然と風化したようで、
江戸末期には枯れてしまっていたという。
参詣者に当たってはいけないと思った、当時のご神職は、
枝や幹を

時は進み・・・


1578年 織田信長の播磨平定による羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)軍が布陣してた頃
    戦火により社殿が焼失。
1590年 豊臣政権の時期に、領主の「寺沢越中守広政」が奉行として本殿が再興。

1609年 姫路城主「池田輝政」の継室「督[とく]」の寄進で拝殿が建立。
また徳川家光の代から幕府からの寄進があり、参勤交代の大名が参拝する風習になる。

逸話としては、島津公が霊松の枝で天神像を刻み祀ったという。
(おそらく鹿児島県の「米ノ津天満宮」に祀られている像の事かと。)

※寺沢広政…織田信長の家臣で秀吉の与力。
      息子の「寺沢広高」は、唐津城と「虹ノ松原」の普請をした人。
 池田輝政…信長の家臣で乳兄弟「池田恒興」の息子。
      父と兄が「小牧長久手の戦」で戦死により家督を相続。
      秀吉没後は家康の娘婿となる。「白鷺城」を確立した人。
  督[とく]…徳川家康の次女で、秀忠と同腹の妹との説。


アクセス:
・山陽電鉄 「山陽曽根」 駅 下車 直ぐに参道の鳥居があり。
 北へ150m程でしょうか。


<CE見聞録>
第一印象は「なんか 雰囲気が全く違う天神さんやな~」でした。
うまく言葉にできませんが、なんとなく異なる雰囲気です。
広い境内に複数の摂社・末社があり、山門直ぐ横に上記「松」を祀る社が。


現地の写真

頂いた御朱印

菅公聖蹟二十五拝
蝦夷国を「北海道」と命名した松浦武四郎公は、
実は天神さんの信者でした。
西日本での道真公縁の神社を巡っていた彼は、
訪問先で「鏡」を奉納していた。
さらに自分が歩いた軌跡として、なんと天神巡りの双六を作成。

これが菅公聖蹟二十五拝の始まりになります。
双六の所々には小さな天満宮や末社の天神さんもあったりします。
紹介動画

番号 社号 鎮座地 紹介
第1番 菅原院天満宮神社 上京区烏丸通下立売下る堀松町408
第2番 錦天満宮 中京区新京極通り四条上る中之町537
第3番 菅大臣神社 中京区仏光寺通新町西入る菅大臣町187
第4番 吉祥院天満宮 南区吉祥院政所町3
第5番 長岡天満宮 長岡京市天神2-15-13
第6番 與喜天満神社 桜井市初瀬1
第7番 威徳天満宮 吉野郡吉野町吉野山
第8番 道明寺天満宮 藤井寺市1-16$221240
第9番 佐太天神宮 守口市佐太中町7-16-25
第10番 大阪天満宮 大阪市北区天神橋2-1-8
第11番 露天神社 大阪市北区曽根崎2-5-4
第12番 福島天満宮 大阪市福島区福島2-8-1
第13番 長洲天満宮 尼崎市長洲本通3-5-1
第14番 (神戸市須磨区)綱敷天満宮 神戸市須磨区天神町2-1-11
第15番 休天神社 明石市大蔵天神町8-2511
第16番 曽根天満宮 高砂市曽根町2286
第17番 大塩天満宮 姫路市大塩町汐咲1-48-2
第18番 滝宮天満宮 綾香郡綾川町滝宮1314
第19番 御袖天満宮 尾道市長江1-11-16
第20番 厳島神社 廿日市市宮島町1-1
第21番 防府天満宮 防府市松崎町14-1
第22番 (福岡市博多区)綱敷天満宮 博多区綱場町5-7
第23番 太宰府天満宮 太宰府市太宰府4-1
第24番 上宮天満宮 高槻市天神町1-15-5
第25番 北野天満宮 上京区馬喰町