紹介動画
紹介内容
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・白太夫社
・稲荷社
・弁財天社
ほか
創建/建立時期:
・934年
元来としては菅原家のお屋敷になります。
桓武天皇の長岡京建都~平安京建都のタイミングで、
奈良県奈良市の菅原地区から、(西大寺から少し南にある地区)
道真の曽祖父にあたる「土師古人」と、
その息子で道真の実祖父になる「清公」が引越しとなった。
元の地名を忘れないようにと「菅原」性に改姓したそうです。
引越し間もなくに、桓武天皇から「遣唐使」の判官を命じられて、
清公は留学目的の僧の「最澄」と「空海」と渡海。
唐に向かう時(推定)に海難事故に遭遇し窮地となるも、
吉祥天が表れて、無事に上陸できた。
さらに任務完了かつ無事に帰宅もできたので、自宅の一部を改良し、
吉祥天を祀るお堂にしました。
それが現在の地名の由来になりました。
「菅公御誕生の地」とデカデカと看板に紹介されていますが、
諸説にて各所が謳っているので、そこは伏せておきます。
※菅公[かんこう]…菅原道真の事。
大臣を務めた事から「菅大臣[かん だいじん]」とも。
880年10月11日(元慶4年8月30日)
道真の実父「是善」が死去すると、
翌881年(元慶5年)に曾祖父の代からの屋敷をお寺へ大改修。
901年(昌泰4年)
内裏での大宰権帥[だざいのごんのそち]任命の辞令を受けると、
父の役宅(現 菅原院天満宮神社)の荷物や人員の解散指示ののち、
多治比文子の邸宅(現 文子天満宮)で彼女に面会し、
続いてこの地を訪れ、都から下向したそうです。
※多治比文子[たじひのあやこ]…道真の乳母。
903年(延喜3年) 道真死去すると、
京都で天変地異が多発。
のちに怨霊騒動へと発展する。
934年(承平4年)
朱雀天皇が怨霊鎮護を行う勅願のお堂に任命。
これが創建に相当と学識的に決定の様です。
※北野天満宮は947年に建立なので、北野天満宮より先になる。
1066年(治歴2年) 天神堂が増設。
このころから「吉祥院の天神さん」と呼ばれるようになり、
これが社号になったようです。
京都十六社めぐりの対象の天神さんになります。
令和になってすぐ、金色の牛の置物が設置。
足元を潜れる仕様になってます。
アクセス:
ちょっと不便な位置ですが
・市バス 吉祥院天満宮前 下車 3分位かな。(信号待ちの時間を除く)
42,43系統のバスがあるが、どっちも1時間に1本と不便ではある。
・市バス 西大路九条 下車
西大路通りを南下して、西大路十条の交差点へ。
・車の場合、境内に直接突っ込めますが、年始などはまず無理です。
混雑の場合は、イオンのパーキングが大きくて便利でしょう。
西大路十条の三叉をを南西へ、川を渡ってすぐに右折。
鳥居がある所を入ったら、正面が境内。L字に左折れ右手にも鳥居。
ここから車が入れます。
確実なルートは、
京都駅から 市バス42乗車 (阪急洛西口駅前行き)
阪急電鉄四条烏丸駅 ないし JR西大路駅から 市バスに43乗車 (久世橋東詰行き)
西大路通り側に43系統 十条通り側に42系統のバス停があり。
交差点からちょっと離れた雰囲気です。
<CE見聞録>
なぜかキティちゃんと白馬の像があります。
白馬は縁起物なので理解できますが、
オリジナルのキティちゃんグッズが販売されていたりと
この点は首を傾げています(笑)
|
頂いた御朱印
|