紹介内容
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・老松社
・酒垂神社
・須賀社
ほか
創建/建立時期:
・904年
菅公聖蹟二十五拝 第21番目 山口県にある天神様になります。
当社がある「周防」は、土師氏が国司(現在で例えると 都道府県の議員に相当)として
中央から派遣されて政治を行っていました。
道真公の親戚という事で、太宰府下向の時に頼る為に、
安芸(おそらく竹原とか岩国あたり)から瀬戸内海を船で西へ進み、
周防の「勝間の浦」から上陸したそうです。
現地の土師一族も、右大臣だった一族の道真公を歓迎して、補給に協力したという。
道真公はこの地を出立に際し、
「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」
と願ったそうです。
つまり、宇多法皇の沙汰を期待した節があり、
道真公と宇多法皇との親密さを今に伝える事と思います。
しかし、本州の地は二度と踏むことができずに、
九州で逝去となりました。
まさに逝去の日に
防府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(今の「天神山」)に瑞雲発生したそうで、
国司をはじめ住民たちが、
「道真公の御霊魂が光となり雲となってこの地にに帰ってこられた!」
と悟り、「松崎の社[まつざきのやしろ]」という
菅原道真公を祀った社が建てられたのが始まりになります。
従って、「日本で最初に菅原道真公を祀った」との云われです。
平安中期に道真公の子孫が記載した書によると、
道真公の孫が訪れて、「道真公は都で天満宮として奉られます。」と伝えたらしく、
この頃から「松崎天満宮」との愛称で呼ばれるようになったようです。
この時期が925年頃のようです。
明治時代まで時が進み、
1873年に「松崎神社」と改称が政府主体で行われる。
1953年に「防府天満宮」と登録されて現在に至っています。
シーイーが調べられる範囲では、
923年に醍醐天皇の勅命にて水火天満宮が建立されております。
従って、当サイトでは、水火天満宮の方が先に「天満宮」となったと致します。
アクセス:
・JR山陽本線 防府 駅下車 北へ800mほど
・山陽自動車道 防府西 ないし 防府東 ICから県道54号にでて、
佐波川を渡り、東へ500mほど。境内に駐車場あり。
<CE見聞録>
一族が治めていて九州からも程近い周防だけあって、
道真公の訃報の情報が早かったのでしょう。
雰囲気的には、北野天満宮や太宰府天満宮、大阪天満宮と違う点があり、
それは、本殿背面に老松社など三棟に、それぞれ多数の御柱が奉られており、
社の数が影響しているのかと思いましたが、これはこれですばらしいですね。
気になったのは、天神さんには必ずといって鎮座している「白太夫社」が
合祀されているのか、無いのかが不明でした。
無ければ無いで、規模的に激レアな天神さんです。
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